2010年10月03日
いつまでたっても恩師は恩師
先日、富士市倫理法人会のモーニングセミナーで、私の静岡市立高校時代の恩師に講話をしていただいた。今年6月に行われた同期会に出席した際、再会の喜びに背中を押されて勢いでお願いしてみたところ、二つ返事でOKを下さったのだ。国語を担当していた富山昭先生。郷土研究分野では何冊かの著作もある方なのだ。

定年によりとっくに教職を終えていた先生は、現在静岡産業大学と常葉学園大学の非常勤講師を兼任しながら執筆活動に励み、依頼と空いた時間があれば各地域で民族学会理事として講演活動をなさっている。専門は「郷土伝承文化」「郷土史」「方言」。高校時代の我々にとってはクラス担任と同時に現代国語を受け持つ先生だったが、我々が生まれたまさにその年、1965年に教職についてから後ずっと郷土研究、民俗学の研究に没頭されていたようだ。そのおかげというべきか、教職を辞した後もあちらこちらから声がかかり、とても充実した60代を過ごしておられる。とても元気だ。
その時の同期会では、他にも数名の先生方が出席しておられた。皆、年相応に老け込んでしまい、放課後の生活指導や、体育の授業で見せていたあの迫力は失せ、優しく、そしてちょっと弱いお年寄りに見えてしまった。意地悪な言い方をすると、生き甲斐を感じていないのかな?日々の充実を感じられていないのかな?というようにも見えたのだ。富山先生の生き生きした姿との対比が、やはりお世話になった先生方だけに寂しく感じられた。
「私は好きなことを好きなようにやってきただけだから」と富山先生は言う。
若い頃にどうだったか?とか、教師として立派だったのか?とかはここでは一旦置いておくとして、いくつになっても人から必要とされる人、社会から求められる人で在り続けるって素敵だなと思った。残念だけれど、周りからそのように求められることなく、ただ日々を過ごすだけで同じ80年の生涯を終えていく人たちも多いと想う。経営者もそうでない人も含めてね。そんな中で、世の中から、地域から、人から必要とされる生き方が出来ると良いな、と思ったんだ。
でもね、皆解っている筈。そういった方々は60才になって、或いは70才になってから、その努力をしたわけではない。若い頃から小さな積み重ねを繰り返し続けたからこそ、今そういう自分に成れたんだと想う。そうなろうとという意識を持って日々を生きてきたかどうかはそれぞれでしょうけど、少なくとも目の前のことに真摯に、純粋に、一生懸命取り組み続けたからこそ、結果としてこうなったんだと想うんだ。人よりもちょっとだけ努力する。小さな積み重ねをたゆまずに行う。そんな生き方が大切で、まさにそういう生き方をしてきたからこその“今”なのだろう。
「未来は未来には無く、今、我々の目の前にある」
ということをこんな先生との関わりから再確認した。
しっかりとブレない自分として日々を生き続け、周りから、社会から必要とされ続ける生涯を送りたいと想う。

あんしんボスのONとOFF!
静岡市立高校時代にはまさかこんなご縁になる事を想像すらしなかったあんしんボス
巡り合わせというか何というか、縁の不思議だ。私はこんな生き方をし続けたいのだ。
by 影山 @ あんしんビジネスサポート株式会社 @ 富士市厚原

定年によりとっくに教職を終えていた先生は、現在静岡産業大学と常葉学園大学の非常勤講師を兼任しながら執筆活動に励み、依頼と空いた時間があれば各地域で民族学会理事として講演活動をなさっている。専門は「郷土伝承文化」「郷土史」「方言」。高校時代の我々にとってはクラス担任と同時に現代国語を受け持つ先生だったが、我々が生まれたまさにその年、1965年に教職についてから後ずっと郷土研究、民俗学の研究に没頭されていたようだ。そのおかげというべきか、教職を辞した後もあちらこちらから声がかかり、とても充実した60代を過ごしておられる。とても元気だ。
その時の同期会では、他にも数名の先生方が出席しておられた。皆、年相応に老け込んでしまい、放課後の生活指導や、体育の授業で見せていたあの迫力は失せ、優しく、そしてちょっと弱いお年寄りに見えてしまった。意地悪な言い方をすると、生き甲斐を感じていないのかな?日々の充実を感じられていないのかな?というようにも見えたのだ。富山先生の生き生きした姿との対比が、やはりお世話になった先生方だけに寂しく感じられた。
「私は好きなことを好きなようにやってきただけだから」と富山先生は言う。
若い頃にどうだったか?とか、教師として立派だったのか?とかはここでは一旦置いておくとして、いくつになっても人から必要とされる人、社会から求められる人で在り続けるって素敵だなと思った。残念だけれど、周りからそのように求められることなく、ただ日々を過ごすだけで同じ80年の生涯を終えていく人たちも多いと想う。経営者もそうでない人も含めてね。そんな中で、世の中から、地域から、人から必要とされる生き方が出来ると良いな、と思ったんだ。
でもね、皆解っている筈。そういった方々は60才になって、或いは70才になってから、その努力をしたわけではない。若い頃から小さな積み重ねを繰り返し続けたからこそ、今そういう自分に成れたんだと想う。そうなろうとという意識を持って日々を生きてきたかどうかはそれぞれでしょうけど、少なくとも目の前のことに真摯に、純粋に、一生懸命取り組み続けたからこそ、結果としてこうなったんだと想うんだ。人よりもちょっとだけ努力する。小さな積み重ねをたゆまずに行う。そんな生き方が大切で、まさにそういう生き方をしてきたからこその“今”なのだろう。
「未来は未来には無く、今、我々の目の前にある」
ということをこんな先生との関わりから再確認した。
しっかりとブレない自分として日々を生き続け、周りから、社会から必要とされ続ける生涯を送りたいと想う。

あんしんボスのONとOFF!
静岡市立高校時代にはまさかこんなご縁になる事を想像すらしなかったあんしんボス
巡り合わせというか何というか、縁の不思議だ。私はこんな生き方をし続けたいのだ。
by 影山 @ あんしんビジネスサポート株式会社 @ 富士市厚原
おはようございます!
>「未来は未来には無く、今、我々の目の前にある」
⇒最幸です!
朝から素敵な言葉をいただきました。
ありがとうございます。
さて今から出勤です!!
そう言ってもらえるとウレピーです。暫く前に他のブログへ投稿したものを加筆修正し、今回アップしました。未来も過去も無くあるのは今この瞬間だけなのです。そうなのです。そう思って頑張るです。
富山先生という方は、「好きなことを好きなようにやってきただけだから」とおっしゃておられたのですね・・
私はこう感じました。
この方はきっと、自分の為ではなく、人の為に、誰かの為に好きなことをやってきたのではないかな?と・・
自分の好きなことを自分の為に好きなようにやっているだけだったら、きっとこの方のように輝けないのではないかと思います。
‘自分の好きなこと’も、自己満足の世界で終わっては寂しいなぁと思いました!! 周りから必要とされる生き方したいですね!!
富山先生ね、好きなことを好きにやってきたみたいよ、ホントに。誰かのためにとか何かの役に立ちたいとかさ、あ~んまり考えてなかったんじゃないかなと思うんだ、私は。でもさ、一つのことにずっっっっっっっっと打ち込み続けたらさ、やっぱり見ている人は見ているし、周りが放っておかなくなると思うんだよね。それは打ち込んで来て得られた成果というよりも(もちろん成果が認められたからだけどさ)、打ち込み続けた姿勢というか、在り方というか、もっと大げさにいうと生き様というかさ、そんなものを感じ取る人たちが周りに現れるんだろうなぁ、なんてさ、そう思うんだ。そう思いたいというかね。
ん~・・・上手く言えない。
でもさ、奥さんは苦労したかもね。その意味では彼をずっと支えていたんだろうね。この奥さんがいたからこその今、だもんね。やっぱり夫婦はユニットなんだと思うね、こんな時に。
人の為とか誰かの為 っていうのは、ちょっと違うような気がしてきました・・。 全ての成り行きや結果を、人の為とか 誰かの為って言って 人のせいにしているのかな??と・・・
1つのことに打ち込み続けている人・・私もカッコイイと思います!
人生長いようで 短いと思うので、毎日全力でいかなくっちゃと改めて思いました!!
あんしんボスさん!有難うございました!
色々考えれました!
夫婦はユニットかぁ~! 私も、いつか素敵なユニット組みたいです♪
ヘヘヘ、チトしゃべりすぎましたわ、私。
そして素敵なユニット大作戦!私も応援いたしますわ!